スライディング・ヘディングシュート2


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by frat358
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ロミオとジュリエット

1993年、サラエボの危険地帯に
放置された2つの遺体がありました。
男と女の若い遺体で、腕を組んで死んでいました。


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セルビア人のボシュコと、ムスリム人のアドミラは
16歳の時、新年のパーティーで初めてキスをしました。
2人は互いに違う民族同士でしたが
その事に対する障害は、当時は大きくありませんでした。
しかしボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が始まると
互いが会うことすら困難になっていきます。

サラエボは包囲され、丘にはスナイパーが居て
市民の射殺を繰り返し、
誰かを殺すたびに兵士は賞金を貰っていました。
ボシュコの家族はサラエボを脱出しましたが、
ボシュコはアドミラの居るサラエボに残りました。
2人は命懸けで会い、互いを支え続けます。

1993年5月。
2人はサラエボを脱出する為に外へ出ました。
危険地帯に入った時、ブランコが撃たれます。
次にアドミラも撃たれて、2人は倒れました。
ボシュコは即死で、アドミラはしばらく生きていました。
アドミラはボシュコの遺体へ這っていき、
ボシュコを抱き寄せると動かなくなりました。

腕を組んで逝った2人は、そのまま放置されました。
遺体を収容しようとすれば、撃たれる為です。
1週間後、2人の遺体が特攻隊によって収容されたと
セルビア陣営が発表。葬儀が行なわれました。

セルビア軍は自分達の人道性をアピールする為に
この事件を政治的に利用しようと試みましたが、
アドミラの親は、それを拒否する為に
娘の葬儀に参加できませんでした。

「サラエボのロミオとジュリエット」と呼ばれた二人。
ロイター通信が世界中に伝え、二人の死を悼みました。
歴史を学ぶ時に、理由とか人物を知る機会が多いですけど
人間の数だけ、想いや選択もあるんじゃないかなと。
民族の違いを越えて愛する選択をした人間が居たことも
ユーゴの歴史を知る中で、憶えておきたいなと思います。
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by frat358 | 2008-03-15 18:22 | 戦争と人
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