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スライディング・ヘディングシュート2


3000坪の冒険と、時々音楽すごく映画。たまにサッカー
by frat358
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飛べない戦士

飛べない戦士_c0027929_09791.jpg

プロレスのドキュメント映画で
「ビヨンド・ザ・マット」という作品があり
葬儀屋でバイトをしながら
弱小プロレス団体に所属するレスラーが登場します。
マイケル・モデストという選手です。

彼の夢はアメリカでトップレスラーになる事ではなく
日本でチャンピオンになる事でした。
アメリカのプロレスは完全にショー化していて
それに対応できないレスラーは
金銭面で、とても生活できません。
ただ、日本で成功すれば
アスリートとして評価してもらえるし、
互いの運動能力を競い合える世界があります。

マイケル・モデストは・・・
タフで、頭が良くて、カリスマ性もある。
性格も問題なし。将来有望と思える彼ですが
20代の後半に差し掛かっても
大きなチャンスに恵まれませんでした。
飛べない戦士_c0027929_085119.jpg

彼の弱点は、身長と体重。
ベスト体重が98キロで、
ジュニア級と呼ぶには重いし
ヘビー級と呼ぶには軽すぎる。
とはいえ、彼が最も動けるのは
98キロという体重であり、
こればっかりは、どうにもなりません。
クヨクヨしてもしょうがない。
自分らしいレスリングを続けていきます。

ただ、どんな心構えで挑んでも
世間がどう思ってくれるかは別であり、
有名団体のオーディションを受けても
なかなか良い返事は来ません。
アメリカでは特に「体の大きさ」が
とても重要視されるので
吹けば飛んでいくような団体でエースになれても
なかなかメジャー団体でのチャンスが来ません。
ドキュメント映画の中でも
彼にはオーディションの返事が来ませんでした。

地方団体に所属する現状では、
良くてもギャラが300ドル。
レスラーの平均だと50ドル程度の給与で
ノーギャラの時もあります。
小さな団体に所属する生活は厳しく、
モデストは葬儀屋から引越し屋に仕事を変えて
映画の中では、そこで終わっています。

一方その頃、
日本では有名なプロレス団体が分裂し、
社長となったエース・レスラーが
優秀な外国人選手を探していました。

社長の名は、三沢光晴。
実は三沢社長も
体格に恵まれなかったレスラーです。
デビュー当時は飛んだり跳ねたりする
ジュニア級のレスラーでしたが、
看板選手が次々と移籍したり、
エースのレスラーが病気を患うようになると
三沢は奮起して体を大型化し、
必死に団体を支えて絶体絶命の所属団体を
再び軌道に乗せた過去があります。

かつて二代目タイガーマスクとして
ダイナマイト・キッドと試合をした三沢社長は
アメリカの小さな団体を視察しながら
キッドのような選手を探していました。
そして、マイケル・モデストに出会います。

重い訳でもなく、軽い訳でもなく、
中途半端な体格。でも根性とセンスなら
誰にも負けない。三沢社長と
マイケル・モデストの出会いは
ちょっと運命的なものさえ感じます。

日本で「ビヨンド・ザ・マット」が
上映されていた頃、モデストは
三沢社長の招きで来日を果たしていました。
見た事もないような技と素早い動き。
急激にファンを増やしたモデストは
遂に日本でチャンピオンベルトを
手に入れました。

笑っていただきましょう。
苦労の分だけ。思う存分。

さあ、どうぞ。






飛べない戦士_c0027929_083327.jpg


                    ニカッ☆

モデストはチャンピオンになった後、
自ら団体を設立しましたが
現在どうなっているか不明です。
色んな事が上手くいってないのかもしれません。
でも、不可能を可能にした彼なら
きっとタフに生きていると思います。
by frat358 | 2007-02-25 00:10 | プロレスラー列伝
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