大河ドラマは、いちおう見ています。
出来栄えの評価は置いといて。
春日局が出てきましたね。
春日局の父親は
明智光秀の部下だった斉藤利三です。
斉藤利三は、信長を倒した本能寺の変で
中心人物だった武将の1人です。
細川忠興が、明智光秀の娘である
玉(細川ガラシャ)を長く、長く
公の場に出させないようにしていたのは、
ガラシャの父親が
信長を殺した明智光秀だったからです。
細川忠興は光秀の娘である妻を隠したがったのに、
家康は本能寺の変の、中心人物の娘を
自分の跡継ぎの乳母にしています。
対照的な扱いの差ですね。

春日の局は、三大将軍家光の
乳母という立場ながら大奥を整備し、
江が亡くなった後も存命し続けて
強大な権力を持つに至りました。
家康の墓所は日光に立てられましたが、
墓所近くに「いろは坂」という坂があり、
その坂を登った見晴らしの良い場所が
「明智平」(あけちだいら)と命名されました。
家康の墓所を日光に決めたのも、
明智平という名をつけたのも、
南光坊天海という人です。

天海は、若かった頃の過去が極めて不明なのに
徳川家康に重宝された謎の人物です。
長寿でも知られ、享年は105歳と伝わっています。
関が原の合戦屏風でも、家康の隣に
「南光坊」と書かれた人物が描かれている模写もあり、
何者なのか、とってもミステリアスな人物です。
明智光秀は羽柴秀吉との戦いに敗れて死んだのではなく、
実は生きていて、天海と名を変えて徳川家康に
庇護されていたのではないか?という
異説があります。ただ、そうだと仮定すると
天海の享年は116歳になるらしく;
いくら長寿といっても、当時の平均寿命を考えれば
116歳はないだろうというのが、
明智光秀と天海の同一人物説への
中心的な反論になっています。
最近になって天海と光秀の筆跡を鑑定し、
同一人物ではないが、近親者の可能性が
極めて高いという鑑定結果が出たそうです。
天下を統一した徳川家康の墓所近くの坂を
明智平(あけちだいら)と名付けるのもビックリですが、
なにより凄いのが、家康の息子の名前です。
二代将軍 徳川
秀忠
三代将軍 徳川家
光太字にした字を逆さにすると「光秀」になります。
どちらも徳川家康が存命中に産まれた子です。
自分の跡取り息子に信長を倒した謀反人の明智光秀から
一字ずつ取って名付けているんですよね・・・
明智平。謎の天海。息子の名前。明智家臣の娘を乳母に任命。
これら全てを偶然で片付けるのはシックリこない。
とはいえ、仮説を全て肯定すると天海さんは享年116歳;
表の歴史、裏の歴史が、日本にはあるのでしょうかね。