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スライディング・ヘディングシュート2


3000坪の冒険と、時々音楽すごく映画。たまにサッカー
by frat358
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ボノの愛と、ゲルドフの愛

メリークリスマス。もう終わったか。
Do They Know Its Christmasという曲は
チャリティーソングの元祖なのですが、
この曲の歌詞で、現場が揉めたという話を
今更聞きました。それは当時、まだそれほど
売れていなかったU2のボノが担当した部分。


自分達がクリスマスを祝える事を神に感謝しよう


未だにボノは、この歌詞が嫌いだそうです。
でも曲を作って現場を仕切ったボブ・ゲルドフは
この歌詞こそ一番感動的な部分であり、
だからこそ親友のボノの為に取っておいたと。
それでも現場では「いやだ」「歌え」
「いやだってば」「歌えってば」と
かなり揉めて、最終的にはボノが折れて歌った。
U2を知らなかった人たちはボノの歌声を
この曲で初めて知り、一気に注目された訳ですが
未だに、どう考えても、やっぱり、
この歌詞の部分が嫌いだとボノは言います。
世の中大変な人も居るよねー、でも僕らは
楽しくクリスマス出来て幸せだ。
捉え方によっては上から目線にも感じますが、
この歌詞が絶対にイヤだと言うのは
とても、ボノらしいと思います。
ボブ・ゲルドフがこの歌詞を一番感動的な部分だと
信じて疑わない気持ちも最近はよく分かります。
その気持ちもボノは分かるはず。
でも絶対に認めない。

ボノはアイルランドに生まれた人で、
当時のアイルランドはカトリックと
プロテスタントが互いを殺しあうほど
憎みあってました。
ボノの父はカトリックで、
ボノの母はプロテスタントだった。
最も対立が激しかった時期に
ボノの父と母は愛を育てて結婚し、
ボノが産まれた。ボノは自分の国が
宗派を隔てて殺しあっているのを
豊かな感性で長く見つめてきた。
対立と同じくらい、いやそれ以上に
宗派を超えて愛し合った両親の事も
ずっと見つめてきました。
ボノにとって両親は特別な存在で、
母が亡くなった時の気持ちも、
父が亡くなった時も
ボノは曲を作って発表しています。
外に出れば皆が憎みあっている。
家に帰れば両親が愛し合っている。
ボノの進むべき答えを
両親が生き方で示したのかもしれません。
自分が生まれたルーツを
大事にしてきたボノの考え方は、
全人類が幸福であるべき。という
確固たる信念に基づいています。
誰かが不幸だけど
僕らは幸福で良かったよ、なんてのは
認める訳にはいかないんだろうなと。
でもゲルドフの言いたい事も分かります。
僕らが幸せなのも事実ですからね。
幸福だからこそ救えるのだ。というのは
残酷な考え方かもしれません。
でもそこをあえて歌うのだと
踏み込んでいったゲルドフ。
僕らは本当に、本当に幸せなんだ。
それは、感謝すべき事なんだ。
こんな風に伝えたかったのかもしれませんね。
やっぱり凄い表現者だと私は思うのでした。



という訳で、メリークリスマス。
もう終わったか。

ちなみに。この曲は、金額は忘れたけど
とてつもない収益を出しました。
凄まじい金額だったので、ボノは瞬間的に
あ、これで世界が本当に変わるかもしれないと
思ったそうです。ところがそうならない。
この曲が売り上げた凄まじい金額は
当時アフリカが抱えていた利息1日分程度にしか
ならなかったんです。それだけじゃない。
この曲で命を救われた子供達には
素晴らしい未来が待っていませんでした。
世界を音楽で幸福にしたいと本気で考えていた
ミュージシャン達は、初めてアフリカの現実を知ります。
そしてその衝撃が、後にジュビリー2000などの
(貧国の債務をチャラにする事で成長を促そうという運動)
もっと踏み込んだ政治運動へと変化していくのでした。
by frat358 | 2010-12-26 12:57 |
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